ALOHA-OTANIの日記

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亡き父について

ツイッターからの転載です
備忘録も兼ね、出来るだけ変えず敢えてここに載せておきます


初めて戦慄を覚えたのは、父が火の着いたストーブを壁に向けて置いた時でした

母の名もおれの名も忘れ、飼い犬の名だけを覚えていました

鏡を見ては、「兄貴がいる」と言っていました

父の名誉の為に言いたくないようなこともいくつもありました


何も食べられず、何も話せなくなっていたはずの父が、はっきりと放った最後の言葉は
「痛いなあ。もっとしずかにやれ。」
でした

それを聞いた母は、
「あんたもっと色々しゃべってよ!ねえ!」
と、泣きながらしがみついていました

父が死ぬとき、病院からは
「そろそろです」
と言われました


父は患ってから後、いつも怒っているとか、いつも泣いているとか、そういうことはなく、わりと機嫌よく過ごしていました
父は、おそらく「死」を極端に恐れるタイプの人間でしたが、その恐怖もおそらく霧の中にゆっくり消えていっていました
この二つだけが救いでした

外に救いはありませんでした


患いはじめのころ、父はわたしに、
「なんでおれの頭はこんな風に錆びついちまったんだろうなあ」
と言いました
看護士の方も、
「(父)さんは、ご自分がどうなってしまったか、どうなってしまうのかわかっていますよ」
と言っていました

そしてそのようになりました

奇跡は起きません


患った人が見ている世界をただ受け止める
あなたの尺度など意味がありません
患った人は、本当にもう、その患った人が見ている世界にしか生きていません

その世界をただ受け止める
それが地獄なのです

父が亡くなった時、わたしは泣きました
その涙の中には、
「ほっとして泣いた」
涙もあります


それをわたしは恥じません


もうひとつだけ、
父の名誉のために語りたくないことについて
敢えて言うならば
その時わたしは
「ああ、人は、万物の霊長たる人としての尊厳をこうして失っていくのだなあ」
と、ただただ冷静に眺めていました
自分の無力さを感じながら
本当にただただ冷静に


特に何の面白味もない話です

ありがとうございました